学生時代、経営学科に所属していた私は、ある日「新しい文房具を考え、それを世に売り出すためのプレゼンをする」という体験型講義を受講した。この講義で重要視されていたのは“発想力“。教授は自信満々に「平等なチーム分けをします。」と説明していたが、私は”発想力”という可視化しにくいものを平均化することはできないのではないかと、とても不安に思っていた。しかし、その教授は「ボーっとする時間を設けているか」「興味のない分野にも積極的に飛び込んでいるか」等からなる10の質問で点数をつけてチーム分けを行い、実際見事に講義を成功させていた。「アイデア」という私にとってはふわふわとして掴みどころがないと感じる概念に対して、この教授はしっかりとした理解をもって向き合っているのだと分かり、私にとってこの出来事はとても衝撃的であった。社会人になり、TWSに入社した私は、3分間スピーチも同じ見方ができると感じた。以前のスピーチから、会話を埋めるための繋ぎ表現である“フィラー”というものは意識すらしていなかったし「なるようになる」という言葉にポジティブな意味は持ち合わせていなかった。人はそれぞれ違った体験をしていて、それを基にモノを見る独自の目線が養われていく。この3分間は話者と同じ人生を歩んでいないのにその一端に触れることが出来る、有意義な時間なのではないだろうか。