太宰治の「人間失格」の中に出てくる“罪と罰”という言葉を覚えている。罪の意識がないと罰にはならない。周りはバチが当たったんだろうと思っても、本人にその意識が無ければバチを罰とも思わないことがある。意識があるからこそ罰という認識がある、ということだったと思う。仕事で周りが失敗だと思っても、本人は気づかず当たり前だと思っているかもしれない。間違いと思っているなら、それを気づかせてあげるのも大事なことではないだろうか。「ミスをなくす」や「報連相を増やす」などで、周りが注意してあげることも仕事の一つではないだろうか。