後になって騒いで悔やんでももうどうにもならないという意味だが、先週、金曜日の朝、15年間TWSファミリーとして支えてくれた家族の旅立ちの訃報が届いた。子宮頸癌で、見つかった当時に相談されながらも出産をしたいという本人の想いから良いアドバイスも出来ないまま、闘病生活が続き、41歳という若さで旅立った。。その日のうちに実家まで飛んで行ったが、今にも起きそうだった。今年2月の20周年パーティーはもちろん、4月のBBQイベントにも参加してくれたが、それが最後となった。人の死は生まれた時から決まっており、天命である。だからこそ今を生きると考えていた。病気や事故だとしても運命だからしょうがないのか?ただ、、今回は、命の延命が出来る手術という選択肢があり、本人の希望とはいえ、頑固ではあったが、何が何でも命が大事だと何故訴えなかったのか?こうなるのであれば、どうにか説得して手術をさせるべきではなかったのか?頼りにして慕ってくれていた妹のような存在だった。最後の選択肢を決断する為に相談されたのに、本人の想いを尊重する形で引き下がってしまった事に「悲しい」より「悔しい」という気持ちで、親の死でも涙を流すことがなかったが、頭の中をぐるぐると後悔だけが残り、涙があふれ出てきた。。告別式で最後のお別れをすることになるが、いつも私や会社を応援してくれていた彼女のためにも、常に本気で何事にも向き合っていく。そして口先だけでなく”命がけ”という言葉の本当の意味を教えてくれた彼女のことをいつも思い出すだろう。ご冥福をお祈りする。